ウィキリークス創設者のジュリアン・アサンジが逮捕されたと報道されている。逮捕容疑は強姦だそうだ。日本からはるか遠いイギリスでの出来事だから我々には分かりようがないことだが、このタイミングでの逮捕は誰が見てもアメリカの政治的な意向が入った逮捕だろう。
しかしまあ、本人も逮捕は予想はしていたのだろうから肝がすわっている。日本の海上保安管による中国船衝突事故の映像流出といい、本人たちにはよっぽどの覚悟がないとできないことだろう。

日本の中国船衝突事後映像流出に関しては、賛否が分かれているようだが、ウィキリークスに関しては、大方が存在自体が否定的な意見が多い。確かに国の機密情報がダダ漏れの状態は、国の危機管理としては、致命的だ。そこに他国を批判した内部文書や自国の軍事情報なども含まれているのだからなおさらだ。政府としたら戦々恐々だろう。しかし、本当にその存在は悪なのだろうか?見方を変えてみると、ウィキリークスの登場は世界に平和をもたらす救世主の登場なのかも知れない。

これほどインターネットが普及し、ソーシャルメディアが発展した現代においては、情報はもはや秘密にすることができないものになったと言える。情報は人が見るためのものであり、その人が意図的に情報をソーシャルメディア等を通じて流すのだから防ぎようがない。人や国には利害関係が必ず発生するから、どうしても秘密にしたい情報は存在するのは仕方ないが、現実問題として、秘密情報を秘密情報として扱える世界ではなくなってきている。

個人的には、それは決して悪いことではないと思う。なぜなら、それが様々な抑止力にも成りうるからだ。どの国も情報をオープニンにすることによって、戦争に発展する可能性は極めて低くなると思う。なぜなら、他国に攻撃を仕掛けるのは、必ずといっていいほど、自国に脅威が及んでいる時だからである。つまり、情報の公開というのは、自国が脅威にされている、という情報すらも筒抜けになる。だから、脅威にさらそう、ということ自体がなくなるのではないか。

これは、究極の形としては、秘密情報など存在しなくて世界中の人達がお互いの国の情報をいつでもインターネットを通じて知ることができ、大きな国も小さな国にも平等に情報が行き来する状態になる、ということだ。さすがにそれは突拍子もない話だが、しかし、そこまで行くことはないにしても、現実にそういった形に近づいていることは事実だ。

これは、軍事力による抑止よりも、よっぽど平和的で国の大きさに関わらない平等な抑止力になり得るのではないか。ウィキリークスにはその大きな一歩の可能性を感じた。そして、それを自国の都合で逮捕する大国にも器の小ささを感じる出来事である。